どうして日本で工場畜産がはじまったのか

  • Day:2013.11.12 13:58
  • Cat:畜産
工場畜産の歴史は浅い。

日本では、牛の飼育数は、1970年ころまで農家一戸当たりせいぜい3~5頭でしたが、今は一戸当たり40~70頭飼育が普通になっています。
豚も同様です。
養豚農家の方の話しによると、50年前は、一家に数頭、豚を放し飼いしていたそうです。その豚の飼育理由は肉用ではなく、主に農作物への肥料(糞)のためだったそうです。
しかし肉の消費量が増え、家畜の数が増えるにつれて、現在のような工場畜産様式になり、そのような放牧の光景は見られなくなったそうです。
1962年には100万戸あった養豚農家が、いまやたった5000戸。そして飼育されている豚の数は1962年のころより2倍以上増えています。



工場畜産が日本で拡大したわけ
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MSA協定(日米相互間で行われた相互防衛援助協定)
第二次世界大戦後、日本は深刻な食糧難のため、食糧増産計画が図られた。1953年、朝鮮戦争が休戦すると、アメリカは日本に再軍備の実施(反ロシア対策)と食糧増産の打ち切り(MSA協定:Mutual Security Act)を要求して来た。
MSA協定
『日本は食糧増産をやめて、アメリカの機械化・化学化された大規模農業による余剰農産物(小麦)を円貨で購入し、アメリカはその円貨の80%をアメリカの軍事計画実施にあて、残り20%は日本の防衛産業への投資に当てるという内容』
日本は、たまたまこの年は水害のため米は100万トン、麦は150万トンの輸入が必要だったこともあり、日本政府はMSA協定の受け入れを決定。
コメ・麦を中心とした増産対策(食糧自給)の放棄と小農保護政策の中止を決めた
MSA協定を原点として、日本の農政は180度の転換を開始することになる。
自給自足的な日本伝来の農業構造を破壊して、農業の企業化をはかるために、1961年に農業基本法が制定。(この中で畜産は、今後需要が拡大すると見込み、選択的拡大部門として位置付けられた)。その政策は、全国一律に農業の工業化を補助金で進めるものだった。日本の米作は、米と麦の輪作を基本として行われてきたが、これが崩れ、米の単作に転換していく結果となった。生産性を第一にした農業が推進され、大規模・専作化、機械化、畜産と耕種部門の分離、農薬・化学肥料、石油エネルギーなどに過度に依存した近代農業が広く行われるようになった。

このようなアメリカ主導による農政の転換の中、採卵鶏については、1950年頃から、これまでの平飼いからイギリスが開発した多段飼育方式であるバタリー(竹・木製)飼育方式が広がりました。 同じ面積でより多くの羽数を飼うことができること、衛生的で省力的になることから、ほとんどの養鶏農家がバタリー飼育方式をとるようになりました。   
さらに1955年には、より衛生的で省力的なケージ(金属製、今日のバタリーケージ)飼育方式がアメリカから導入され拡大していき、1966年には、1000羽以上の養鶏農家の9割以上がケージ飼育方式をとるようになりました。
規模拡大と共に公害問題も増し、生産地は都市部から郊外へと移転していきました。





生産性を第一に考え、大規模、機械化した日本の現在の畜産様式は、放牧を行わず、舎飼い・つなぎ飼いで、畜産部門と飼料部門は分離し、餌の多くを輸入にたよっています。
2012年度の日本の飼料(畜産動物の餌)自給率は26%。
多くの飼料は海外から輸入してます。なかでもアメリカの割合は高く、トウモロコシ飼料の輸入の90%はアメリカからのものです。
また、2011年時点での、日本の小麦輸入の60%は、アメリカからです。




参考 工場畜産の歴史(A.I著)ほか



メモ kitara
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