【カウンティングアニマルズ】動物と数字を愛する人のサイト

【カウンティングアニマルズー動物と数字を愛する人のサイト】
オタク文化とアニマルライツが出会う場所。
http://www.countinganimals.com/

その副題のとおり、動物がどれだけ殺されているのかが公的データをもとに数値で表されている。

まさにオタクのなせる業というか、
例えば養殖魚のために天然魚が捕獲され餌にされており養殖魚一匹を食べるのはつまり複数の天然魚をも殺しているということなのだが、ではいったい養殖魚一匹食べるのにどれだけの魚を犠牲にしているのかを餌の量からなにから執拗なくらい丁寧に細かい計算ではじき出していたりする。

ほかにも
「私たちが使っていないのに殺した動物の数」(畜産物の廃棄量(使用期限切れ、腐敗など))
「菜食主義になればいったいどれだけの動物を救えるのか」
など、そこには数字への情熱と、動物搾取への激しい怒りが感じられる。

ちなみに菜食主義になればいったいどれだけの動物が救えるのかだが、アメリカの場合は陸生動物が年間25だそうだ。
日本はどうかと計算してみたところ、2013年のデータで大体年間10くらいだった(廃棄量は入れていないので実際にはもっと多い。陸生のみで魚は入っていない)。


2015年日本の屠殺場

スポンサーサイト

二枚貝は痛みを感じるか?

アサリとかカキとかシジミとかの二枚貝は中枢神経がなく、刺激を検知するルートはあるけど痛みを感じることはない。植物と似ている。
二枚貝の生産過程と、小麦やイチゴやビーガンサプリの生産過程を比べると、トータルで収穫の際などの動物の犠牲が多いのは後者であり、環境負荷も後者のほうが高い。
二枚貝を食べる人を「動物虐待」などと攻撃するのはあまり生産的なことではないだろう、というような記事。


On the Consumption of Bivalves
David Cascio

https://medium.com/@TheAnimalist/on-the-consumption-of-bivalves-bdde8db6d4ba#.5loq5c3y9

徳川綱吉

徳川綱吉(1646~1709)-動物(人を含む)の権利活動家
Tsunyaoshi.jpg

生類憐みの令とは
単一の法令を意味するのではなく、1685年(この年に出された、犬猫を繋ぐことを禁止し、犬猫が将軍の御成道に出てきても構わないとしたお触れが最初)から1709年(徳川綱吉の死去)の24年間にわたって、徳川五代将軍綱吉によって強力に推し進められた、人間(捨子、病人、囚人、被差別民など)を含む動物全般(犬・猫・馬・牛などの哺乳類、ヘビなどの爬虫類、金魚などの魚類、コオロギなどの昆虫...)に対する憐み(生類をいつくしみ、楽を与える慈と、生類をあわれんで、苦を除く悲からなる心情)政策に関わる多数(総数135件)のお触れの総称。

生類憐みのお触れ(一部)
・犬と猫を紐で繋ぐことを禁じ、御成道(将軍や宮家が通る道)に犬や猫が出てきても構わないとした。(1685年7月)
・拵え馬(こしらえうま|馬の尾や腹などの筋を伸ばして見た目を良くするという当時の流行)を、馬の体の一部を傷つける不仁なこととして禁止した。(1685年9月)
・江戸で大八車や牛車による犬などとの事故を起こさないよう注意を喚起し、野犬に餌を与え、すべての生類に対して「生類あわれみの志」をもって対応するように命じた。(1686年7月、1687年7月)
・重病の生類を生きているうちに捨てること(捨子・捨て老人・捨て牛馬など)を禁じ、違反者の密告を奨励した。(1687年1月、1695年10月)
・江戸の町人には町内の犬、武士には江戸屋敷の犬を、それぞれ犬毛付帳(犬の特徴、病気・事故・所有者等の履歴などを記録する帳面)を使って登録管理し、犬が行方不明になった場合には徹底的に探すように命じた。(1687年2月)
・飼育している魚鳥・亀・貝類を食料としたり、これを売買することを禁止した。(1687年2月)
・捨子が見つかった場合にはそのところの者がまず捨子が死なないように養育し、養親が見つかった場合には引き取らせることを優先させるように命じた。(1687年4月)
・慰みとしてのコオロギ・キリギリス・松虫・鈴虫・玉虫などの昆虫類の飼育を禁止した。(1687年7月)
・捨て馬をする者には島流しの刑に処するとしたうえで、領内より馬の遺棄者が摘発された場合、その事情によっては代官や大名などの支配領主も処罰の対象にするとした。(1687年12月)
・田畑を荒らす猪や鹿、人や家畜を襲う狼に対するやむを得ない措置として、害獣の駆除を、殺生による穢れを最小限に止めるために定められた厳密な手続きに則ることを条件として(まず空砲で追い払い、それでも効果がない場合に、役人立会いの下、指定の期間のみ実弾の使用を許可し、殺生の理由を帳面に記し担当部署に届けさせた。また、殺した動物の食用や売買を禁止した)、害獣の殺生を許可した。(元禄2/1689年6月)
・全国に触れられた捨子禁令において、子供の養育が困難な場合には、あらかじめ定められた管理責任者(奉公人は主人、幕領では代官・手代、私領では名主・五人組)に届け出るように命じた。(1690年10月)
・江戸では捨子防止のため、町ごとに出生児と7歳までの子供を帳面に登録させ、名主がその管理責任者として、子供の移動等を把握するように義務付けた。(1690年10月、1704年9月)
・生類(蛇・犬・猫・鼠など)に芸を仕付けて見世物にすることを、生類を苦しめる行為として、禁じた。(1691年10月)
・江戸において、漁業を生業とする漁師を除いて、一般町人の慰みとしての魚釣りを禁じた。(1693年8月)
・将軍家の権威の象徴である鷹狩(鷹遣い)および鷹狩にかかわる儀礼(朝廷への「鷹の鶴(鷹狩による獲物の鶴)」の献上、大名との「鷹の鳥(鷹狩による獲物の鳥)」や「巣鷹(鷹のひな)」の授受(下賜/受領)など)を廃止した。(1693年9月)
・犬が咬み合っていたら、そこが皇族や将軍などの貴人の訪問先であっても、水を掛けて引き離し、犬が傷付かないよう対処することを命じた。(1694年2月)
・蹴鞠(けまり)の製作に犬の皮が使われることから、江戸では鞠商売を禁じ、職替えを命じた。(1694年7月)
・鷹匠や鳥見(鷹匠の下役で、鷹場を巡視し、鷹に捕獲させる鳥の群生状態を確かめる役人)などの鷹役人を全廃。鷹役人の一部は寄合番(1693年9月の鷹遣いの停止に伴って鷹役人の配転先の受け皿として設けられた職制)に役替えとし、犬小屋の担当や鳶(トンビ)や烏(カラス)の巣の取り払い(鳶と烏は、人や他の鳥類に危害を及ぼすため、生け捕りにし、数がまとまると伊豆諸島などに放鳥した)などの業務に当らせた。(1696年10月)

そのほか、幕府直轄の犬小屋(シェルター)の運営も行っています。
詳細はこちら
http://www8.plala.or.jp/spiritvoice/shourui.html




メモ souken