人間の「従順さ」とサルの拒否

ナチスの親衛隊員で戦犯のアドルフ・アイヒマンは、大量の虐殺を行ったことに対し「上層部の命令に従っただけだ」と言っています。そのような理由であれほどの虐殺が実際に可能なのか。アイヒマンの裁判が始まったころ、心理学者のスタンリー・ミルグラム氏がイェール大学で実験を行いました。

この実験では「教師」と「学習者」が登場します。
そして実験の実施者が『学習上効果のある罰則について』の研究を行う、と2人に説明します。「学習者」はイスに縛り付けられ、答えを間違うと「教師」は電気ショックを流すレバーを押します。ショックはどんどんその強さを増すようになっています。
「教師」は純粋に何も知らない被験者ですが、「学習者」は実は役者で、レバーが押されるたびに苦しむ演技をします。学習者が身もだえ苦しんでいるのを見て教師は実施者を振り返ります。しかし実施者は「この実験を続けるように」と返答します。さらに学習者が叫び声を上げ苦しむのを見て「止めたほうがいいのではないか?」と教師は尋ねますが、実施者はかたくなに「この実験を遂行するように」と主張します。
そうして「教師」の65%が電気ショックのボルテージを最大まで上げてしまったのです。

この実験が行われたのと同じころ、サル(アカゲザル)を使った実験が行われています。
この実験では、サルが鎖を引っ張る気持ちがあれば餌が食べられる仕掛けが用意されます。そして餌を食べるために鎖を引っ張ったサルは、自分からだけ相手が見えるマジックミラーを通して自分と無関係のサルが苦しむ姿を目にすることになります。餌を食べるために鎖を引っぱるとほかのサルが苦しむのを見て、多くのサルは鎖を引っ張るのを拒否し、飢える事を選びます。結果87%のサルが空腹であることを選んでいます。サルの中には仲間を傷つけるどころかほとんど2週間にわたって何も食べずにいたものもいたそうです。

近年では、2011年にアメリカ シカゴ大学でわなにかかった仲間を助けるラットが報告されています。
「実験では、まず、わなの扉を外から頭で押して開けられるようにラットを訓練。そして1匹のラットをわなに閉じこめると、 訓練を受けたラットは扉を開けて仲間を救出した。
わなの外にチョコレートがあるときも、自分が独り占めできなくなるのを承知でラットは扉を開けてやった」




上官から命令されたというだけで、相手が苦しみもだえるレバーを押す人間が腐っていて、仲間のために飢える事を選ぶ動物が優れていると、いいたいわけではありません。
人間の中にもレバーを引かなかった人がいたし、相手が苦しむのなら自分が飢えることを選ぶ人間もいるでしょう。
これらのことから分かるのは、動物も同情する、ということです。

負傷したコマドリは、通常戦闘の勝利者から、その看護を受けます。看護するコマドリは数ヶ月にわたり負傷者に餌を与え続け、そのため移住飛行の時期を逃し生命の危険を冒すことになってもそうします。
わたしは以前車にひかれたカラスのそばを離れようとしないカラスをみたことがあります。車の往来を気にしながらも道路の真ん中でそのカラスはずっとひかれたカラスのそばをウロウロしていました。
「ある医師の見解」の中でドイツの医師はつぎのように言っています。
『ある水族館で大きなエビが仰向けにひっくり返って、その大きな甲羅のために立ち上がれなくなる。仲間が救助に駆けつけいろいろとやってみて、うまく立てるようにする』
もはや子供を産めなくなり、歯がすりへったりなくなったりしてしまった高齢の雌ライオンがさらに何年も生きのびられるのは、ほかのライオンたちが餌を運んでくれるからです。
ロシアの昆虫学者はアマゾンアリが仲間の瘤を切断したり、わき腹のトゲを抜き取ってあげたりする様子を見ています。手術をするアマゾンアリの周りを他のアリが囲って見守っているそうです。
人間に飼われていたゾウが、いつも少しだけ餌の穀物を残しておき、一匹のハツカネズミに与えていたという例も報告されています。

そのようなゾウを、わたしたちは象牙のためだけに殺します。
上の実験では、人には電気ショックは与えられていませんが、サルには実際に電気ショックが与えられています。そしてレバーを押すことを拒んだサルは2週間餌を与えられずにいます。
ペットショップで商品として陳列するために犬を何度も交配させ、繁殖の役にたたなくなると殺します。
同情というすばらしい感情をもった生き物を狭い金網の中で飼育し、本来の行動を妨げ異常行動を起こさしめ、殺して毛皮にしたり、ぎゅうぎゅうに詰め込んで日の光や風や自然のにおいを楽しむこともなく、一生を建物の中で過ごさせて、無麻酔で体の一部を切断し、本来の寿命よりはるかに短い期間で殺して肉にします。

偏見や先入観などをもとに,特定の集団に対して不利益・不平等な扱いをすることは差別です。人に対して許されないことが、動物であるからとして許されるのは、そこに差別があるからです。





引用
「ヨガ&ベジタリアニズム」シャロン・ギャノン
「ゾウがすすり泣くとき」ジェフリー・M・マッソン、スーザン・マッカーシー
「罪なきものの虐殺」ハンス・リューシュ
ほか





メモ wilkin
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