動物を実験するということ

「もし自分がこの動物たちの身になったら、動物実験を肯定できるでしょうか?
自分がされたくないことを他者にしないのが人間社会のルールであるはずです。
動物に対しては、なぜその気持ちを抱くことができないのでしょうか。」
(文 野上ふさ子氏)

過去、関西にある大学の医学部で撮影された、実験用動物たち
― 関西動物友の会より

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家族を捨てるということ、虐待するということ

「年老いた犬は世話が面倒で、もう要らない」
その飼い主が去った出口を、犬は長い間眺めていた。

写真・文章は、関西動物友の会より
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「マンションに引越しが決まり、車で飼い犬を放棄に来た。主人を信頼してついてきた犬は所内から聞こえてくる多くの犬たちの声の異様さに気づいて、足を踏ん張ってささやかな拒否。飼い主が去った後、監房内の壁を前足でガリガリ掻きながら遠吠えを繰り返した」

写真・文章は、関西動物友の会より
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飼い主は「一度、隣の町まで捨てに言ったけれど、2週間たって戻ってきたので、こんどは保健所につれてきた」と話す。
犬は、自分の最期を自覚しているかのように、とても静かに外壁の一点をずっと見つめていた。

写真・文章は、関西動物友の会より
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エサを求めてさまよったあげく、誰かに刃物で片目をつぶされた。
たまたま運よく優しい人に保護されて手術を試みたが傷が深く、数日後に死亡した。

写真は、日本動物福祉協会
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日本の動物愛護管理法では、その44条に「愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する」とあります。しかし動物虐待事件のうち、この法律に基づいて起訴されるのは、ほんのわずかです。
無題
https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/pamph/h2203/full.pdf





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「存在の耐えられない軽さ」

「存在の耐えられない軽さ」より抜粋 (著者ミラン・クンデラ)
 
人間の真の善良さは、いかなる力を持て維持することない人にのみ純粋にそして自由にあらわれうるのである。人類の新の道徳的テスト、そのもっとも基本的なものは(とても深く埋もれているので、われわれの視覚では見えない)人類にゆだねられているもの、すなわち、動物に対する関係の中にある。そして、この点で人間は根本的な崩壊、ほかのすべてのことがそこから出てくるきわめて根本的な崩壊に達する


創世記の冒頭に、神は鳥や魚や獣の支配をまかせるために人を創造されたと、書かれている。もちろん創世記を書いたのは人間で、馬ではない。神が本当に人間に他の生き物を支配するようにまかせたのかどうかはまったく定かではない。どちらかといえば、人間が牛や馬を支配する統治を聖なるものとするために神を考え出したように思える。そう、鹿なり牛を殺す権利というものは、どんなに血なまぐさい戦争のときでさえ、人類が友好的に一致できる唯一のものなのである。


その権利はわれわれが階級組織のトップに位しているので、われわれには当然のことのように見える。しかし、たとえば他の惑星からの訪問者のような誰か第三者をこのゲームに登場させて、神様がその者に「すべての他の星の生き物を支配すべし」といったとしたらどうであろう。創世記のもつ当然性というものが、急に問題になってくる。火星人の車を引っぱるためにつながれた人間や、あるいは銀河から来た生き物に串焼きにされた人間が、自分の皿の上でよく切っていた小牛の骨付きあばら肉のことをもしかして思い出し、牛に(遅かりしだが!)謝るかもしれない。


そんなわけで、自分たちの横腹を相手の横腹にこすりつける雌牛たちと、テレザは歩みを進め、牛はとても可愛らしい動物だと独りごとをいう。静かで、ずるくなく、ときには、子供のように陽気で、まるで、十四歳のふりをする太った五十女のようである。じゃれている雌牛ほど感動的なものはない。テレザはそれを同情をもって眺めて、人間というものは、サナダムシが人間に寄生するように、牛に寄生して、ヒルのようにその乳房に吸いつくのだと独りごとをいう。人間は牛の寄生虫であると、人間の動物誌の中で非人間はそう定義するであろう。






「存在の耐えられない軽さ」
この本は『究極の恋愛小説』みたいな帯つきで売り出されたけれども、じっさいはそうではない。恋愛も重要な要素ではあるけど、責任を負う重さに耐えるのか、無意味な軽さに耐えるのか、どちらを選択するのか?ということがテーマである。
上記の、人と動物との関係の鋭い洞察にあるように、クンデラはものごとの本質とキッチュ(俗悪)なものを混同させることなく私たちに明確に提示し、考える材料を与えてくれる。



kitara
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